良い言葉
たまにズンって心に響いてくる言葉ってあります。
別れの季節でもある3月。
職場でも学校を離れられる先生がいます。
そんな先生と話をしているとき
「(長谷)先生は幸せですよ!」
って言われる。
とっさには意味が分からなかった。
「先生はお子さんが生まれたからこの意味が分かりやすいかと思います。
どのご家庭も我が家の1番を学校に送り出しているんです。
その1番の、家庭では見せない顔を先生は見ることが出来るんです。
だから先生は幸せなんですよ。」
確かに自分の子どもと1日一緒に過ごすという家庭は少ない。
仕事など家庭の事情で子どもを小さい頃から預けている家庭も多いのではないか。
幼稚園、学校での子どもの様子を聞くと嬉しいし、それらを通じて子どもが成長していく様を見るのは親にとっては何よりなのかもしれない。
そういった現場に携わらせて頂いているというのは本当に「幸せ」なことなんだって思えた。
だからこその責任っていうのもとても大きい。
出来る限りのことはしたいな。
・・・
僕の大好きなN先生が学校にやってきた。
近況報告の中でシカの話になる。
村で捕まったシカを捌いて食べていることに対して悶々とした思いがあった。
そんな悩みを一通り聞いてもらった後に聞かされた1言
「シカは食べられて人間になる。」
そうか、人間に食べられたモノは人間になっていくんだ。
食べたものに感謝して、一緒に生きていく。
都会の人にはなかなか分かりづらいことかもしれない。
シカが増えて農作物を作ることもままならない状況になっていること。
シカがかわいそうだからと、放っていると山がシカの大変な食害にあうこと。
昔は人間と動物は上手いこと棲み分けていたんだろう。
今のこの状況はとても不幸な関係。
山に入って管理・手入れするという根本的な解決が急がれる。
1日に良い言葉に2つ出会えた。
忘れないように備忘録
字ばっかり
2年前に塩漬けした桜の葉でさくらもち
]]>ジングルベール ジングルベール♪
そりを引いてたトナカイさんが畑の網に引っかかったみたいです
それをネコ車で運ぶ僕
休日「泰ちゃん係」になって、泰ちゃんとゆっくり時間を過ごそうかと(普段泰ちゃんにかかりきりのなおちゃんに少しでも自分の時間をと)思っていた1日でしたが・・・
「鹿が畑の網にかかった」
との報せ
「シカの日」
になってしまいました。
手馴れてきてはいますが、今日は首・アバラ・舌など新しい試みもしたので結構時間がかかっちゃいました。
購入したC型クランプが大活躍
(泰ちゃんも手伝ってくれました)
凍らせなくてもミンチに出来るってことに気が付いて
(そっちの方が早く出来ました)
ぶつ切り肉はものの5分程度で立派なミンチ肉になりました。
今回は骨付き肉のまま生ハムに挑戦したいと思っています。
それにしても、鹿がよく獲れます
悔しいのは自分のかけた罠にはなかなかかからないってことですが・・・
獲れた鹿をそのまま山に捨てるのはもったいないと思っているので、なるべく有効利用したいなって考えているのですが、時に我が家だけでは飽和状態になることも。
そこで「鹿肉協同組合」なるものを作ろうと考えているのですが、シカの解体から肉を頂くことに前向きな人たちで、獲れた鹿を分け合うっていう単純なシステムです。
要は
鹿が獲れたときに
「鹿が獲れたぞぉ」
って声をかけ、現場に集合して一緒に解体、それぞれ欲しいパーツを話し合って持って帰る。
1頭丸々だと大変な量だし、ちょっとずつなら負担も少なくて済むのかなって思って。
それにしても、クリスマスイブにイルミネーション見に行くわけでもなく、美味しいレストランでお食事するわけでもなく、シカの解体って・・・
なおちゃんはこんなんで良いのかな・・・ってちょっと思います。
一応、夜には3人で手持ちの衣装で仮装して
普通のご飯を食べるという非日常感を味わいました
着てみると防寒具として優れていることを発見したので(特にホワイトタイガー)これからは日常的にかぶろうと思います
]]>「かわいい」という言葉はもともと「かはゆし」←「顔映ゆし」という変形でできた語。
思わず目を背けたくなるような哀れな様子、という意味。
もともと、「かわいそう」は「かわいい」から来てたんですね。
【シカの命を奪う話です。苦手な人は読まないで下さい】
朝7時前
家の電話が鳴る
この時間帯の電話・・・
「きっとシカだ・・・」
電話口で応対するなおちゃんの言葉に遠くから耳を傾ける
果たして、その通りだった。
ほんとに多いこの時期のシカの捕獲
いつもお世話になっているおじいさんからの電話、出勤前の時間だったが現場に向かってみることにした
現場に行ってみると、まだ生きているではないか!
「なんとかしてごせぇ」
実は僕はこんなに元気な状態のシカと生命与奪を感じながら正対するのは初めてだった。
それでもやるしかない。
フィリピンでなんども豚、水牛を撲殺する現場はみている。
猟師さんの本でも撲殺の現場がリアルに再現されており、それらのイメージが頭の中を高速回転していく。
「やるしかない」
僕は車に積んであったハンマーを手にする。
1発目
緊張と興奮での昂ぶりのせいか空振り
2発目
思い切って脳天に向かって振り下ろす
命中
膝から崩れるシカ
3発・4発
動きが鈍くなると同時に頚動脈めがけて出刃包丁を差し込む
思うように血が出てこない
一度抜いた刃を再度刺す
離れて観察するもなかなか絶命しない様を近くで見るのは忍びなかった。
それでも死を受け入れているのか、静かにヒュー、ヒューと呼吸しながら横たわるシカ
ちょうど現場は新田の小学生・中学生が登校に通う通り道
子ども達が現場の横を通り過ぎていく・・・
いくらそういうことに「比較的」慣れているとはいえ、今そこで行われている光景にどう反応していいのか察しかねている子ども達の様子を肌で感じる。
「かわいそう」
そんな言葉がついつい僕の口からも漏れてしまう。
早く楽にしてあげたい
切腹時の介錯人がなかなかその使命を果たせずに四苦八苦している様を連想する。
シカはしばらくして絶命し、その後頭に引っかかったネットを取り外し、川辺で腸を出してから出勤したわけだが
その絶命の間の時間が恐ろしく長く感じた。(時間にしたら数分のことだったのだろうが)
狩猟をするならば、上手にその命を頂く術を心得ないといけない
ということをこのときほど強く感じたことはない。
鉄砲に対する抵抗はまだあるが、それでも鉄砲で命を奪う方がいいかもしれない
そんなことを考えた朝でした。
出勤後はシカを肉にする作業でしたが、そういうことに興味ある友人に声をかけたら見学に来ました。
田畑など人里に出てきて、人間生活と衝突するから、捕まえて食べているが、もし、シカは山、人は里、という風にうまいこと棲み分けが出来ていれば、僕はわざわざ山に出かけてシカを捕まえて食うということはしないのではないか
という風に今は感じる。
シカが日本で増えているのは事実なんだろうけれど、同時に山の荒廃ってのもやはり事実なんだろう。
山をなんとかしたい
]]>朝の日課の1つ
出勤前の山の見回り
そうです
この前山に仕掛けた罠に獲物(イノシシ・シカ)がかかっていないか毎朝見回りしていました。
「今日もかかってない」
「今日もかかってない」
・・・って日が続き
「もうかからないのかな・・・」
なんて思い始めていた頃でした。
昨日もいつものように「機会的に」山回りしていたら・・・
「うおっ!シカがいる!」
「わっ、罠にかかってる」
写真と思い、携帯を取り出す・・・。
人間の僕の姿に警戒するシカ
くくり罠(ワイヤーで足を締め付けるタイプ)なのであまり必死に逃げようとすると足ごととれて逃げていくケースもある。
あまり近寄ってシカをパニックにしてもよくないなと思い遠めからパシャリ。
だから全然分からないと思いますが・・・
時間のある人は探してみてください。
僕が近づくと不安げに僕の方を見るシカ。
罠にかかったのは昨晩だろうか・・・
逃げようとしても左後脚にかかったワイヤーが体をひっぱり逃げれない。
死期を悟ったように僕を見つめるその眼が、何か心をざわつかせる。
3歳くらいの雌ジカだろうか
群れで山を歩いているときにこいつだけ罠にかかってしまったのだろうか
こいつが罠にかかったときに他にいたかもしれない仲間たちはどのようにふるまったのだろう
この世に生を受けて生きたこの数年間の彼女の人生を僕が終わらせてしまう
色々な想いが心をよぎる。
わざわざ肉を食べなくても食べるものはたくさんある国日本。
わざわざ猟をしなくても、スーパーに行けば何も感じずに肉が購入できそして食せる。
この前客が来たときに買ったソーセージはあまりにも冷たくなにか物質的だった。
あのソーセージも元をたどればその材料のために飼育され殺されたブタがいたんだ。
じゃあ、今僕が飼っているウコッケイはなんだろう・・・
あれもいつか食用にされてしまうのだろう
彼らを老衰するまで飼うつもりで飼ってはいないから・・・。
「深く考えなくてもいいじゃん」
って声も聞こえてきそうだ。
だが、なんとなく色々なことが頭をよぎる
そんな朝の体験でした。
結局その雌ジカは仲間の猟師さんにしとめてもらい(僕は残念ながら学校だったので)、夕方学校が終わってから新田に持ち帰りました。
これから解体して肉にします
]]>山に入る
それも山に詳しい人と一緒に
大人になってくると、誰かからモノを教わる時間や人から叱られる機会というのは減ってくるものかと思う
でも新しいことを知ること、学ぶことはとても気持ちの良いものだ。(自分に興味があるものだったら。)
誰かに叱られることも悪くない。(そこに愛があれば。)
昨日の午前中は、ナカオ先生とハクマさんについてバネ式の罠のかけ方を教わった。
僕の住む新田集落内のシカやイノシシの有害駆除が目的だ。
バネ式の罠
昔はこのバネ式の罠の作り方から山に行って仕掛け方まで講習で行っていたらしい。
僕らのときは単なる座学で終わり。
とりあえず受からせて、後は各自で頑張れってスタイルなんだと思う。
さてさて、3人で新田の山に入り歩いてみる。
僕が持ち得ない視点を2人の猟師さんは持っていて
「鹿の絶対数が少ないな」
「イノシシがおらんな」
など、獣道を観察して分かるみたいだ。
雨が続いた後の、晴天の昨日だったから、もしいればきれいに足跡が残っているはずなのだが、それがないみたいだった。
山に入ってみるときれいにクマザサの葉っぱが全て食べられていた。
シカはクマザサの葉でさえ食べて冬を凌いでいたみたいだ。
僕がコタツや温泉でぬくぬくしている間に
僕が秋の間蒔いていた、玉ねぎ、春菊、にんにくなどが全部シカにやられていても、これだけ山のクマザサもきれいになくなっていたら、少しシカに同情した
とりあえず4つほど谷あいを歩き、イノシシの足跡があったところに、練習で2つほど罠を仕掛けてみた。
獣道にぬかをまいて・・・
お分かりになるだろうか?
毎朝チェックに行くのだけれど、ちゃんと場所を覚えておかないと、
ましてや、自分で自分の罠にかからないようにしないと
「ちょっとずつ色んなことを教えてあげるけぇ」
とのナカオ先生のお言葉
ありがたい
ちなみに夕方見回りに行くのは匂いが残ってしまってダメらしい。
ほんとにシートン動物記のような世界でした。
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