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2012年7月14日 (土)

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新田はすごい!

Img_9713

昨晩、ついに人形浄瑠璃の発表会が鳥取市内の公民館で行われた。

僕のデビュー戦。

明治8年が初舞台だったと聞かされ、計算してみると138年目になることが分かった。

【当初のいきさつ】

明治維新、それまでの身分制度が廃止され、日本各地で博打など賭け事に高じる人が増えたようだ。

新田も例に漏れず賭け事が頻繁に行われるようになったらしい。

畑や田んぼや山を賭けては、集落の人々の人間関係はギスギスしたものになっていったようだ。

それに危機感を覚えた当時の青年部の青年達が集落の人間関係の修繕の1手として始めたのが現在の人形浄瑠璃の始まりだったらしい。

1体の人形を2~3人で操る人形浄瑠璃は個人の勝手が許されない。

チームの息を合わせるのに集まって練習を重ねないといけない。

本場徳島の方まで教えを乞いに行ったり、人間国宝の人に手ほどきをしてもらったりと、様々な努力の先に今の新田の人形がある。

そんな人形浄瑠璃も鳥取県で演じるのはここ新田だけになってしまったらしい。

(船岡にも1つ団体があるみたいだが、高齢化など様々な要因で今は活動ができていないようだ。)

集落には僕たちよそもんも含めて20世帯余り、人口にして70人程、65歳以上の高齢者は65%、そんなところだが仲良く精力的に様々なことに取り組んでいる。

今でも幼かった頃の呼び名、〇〇ちゃん、〇〇くんと当時のあだ名でお互いを呼び合う、仲の良さの秘訣の一端を垣間見たような気がした。

押し寄せてくる年齢との闘い。

前は出来ていたことが段々と出来なくなっていく状況。

僕は新田のそんな時期に立ち会っているのかもしれない。

残していきたい、色々なものがここにはあるような気がしている。

それはここ新田だけでなく、日本中の、もっと言ったら世界中の「田舎」に共通して言えることなんじゃないかなと思う。

Img_9710

幕内から劇を見守る2人は80を超えているようにはとても見えない。

僕も同じ格好して頑張りましたhappy01

人形を続けていくことは確かに負担だが、亡くしてしまうにはあまりに惜しい文化に感じました。

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コメント

私も、最近、同じことを考えます。

今まで当たり前のように、蒜山のおじいちゃん&おばあちゃんが作ってくれた、お味噌やら、梅干しやら、椎茸やら、ワサビやら。。。沢山の美味しいものを食べさせてもらってきたけど、そんなおじいちゃん&おばあちゃんも90歳(^0^)

いつ遊びに帰っても変わらないあの穏やかな雰囲気。

最近になって、食べ物だけじゃなくて、あの雰囲気は、いつも現役バリバリで山仕事やたんぼの整備、お祭りや文化の伝承をしてくれてるおじいちゃん達のお蔭なんだな、と、とても強く感じます。

私も何か一つでも受け継ぎたいのに、すぐに行けない。
大阪から、そんな歯痒い気持ちでいます。
こどもがもう少し大きくなったら、少し帰ってみようと思います(>_<)

ちょっとずつちょっとずつやっていこう!
自分の想いや直感を大切にしながら。

兵庫で活動してた時、おみこしを20年くらいぶりに山の上の神社まで、担いで
上がるってやったことあるけど、結局村の人たちに村の活性化を続ける意思がなく、それっきりになってしまった。

おじいちゃんたちの思いはいかほどか。

あと、おばあちゃんたちがお互いに○○ちゃんとか呼び合ってるのは、本当にいいなって思う。

今まで出来てたことが、段々なくなってしまうのは誰にとっても寂しいことなんだと思う。
自分の子どもたちの代に無理強いすることも出来ず、そんな葛藤なんじゃないかな。
みんなが夢中になれるくらい楽しかったらいいんだろうね。
使命感だけだとえらくなるから。

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