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2011年12月

2011年12月25日 (日)

年の瀬

気付けば今日はクリスマスbell

今年もいつの間にか1年が終わろうとしています。

新田は雪景色が常となってきました。

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こう雪が日常にある生活は生まれて初めてだと思っています。

新田は雪が降っているけれど、ちょっと里に降りると雪が降っていないなんてことがよくあります。

バタバタとするなかで年末らしさを感じています。

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【シカやイノシシの燻製】

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【薪ストーブと蒸篭の組み合わせはなんだか良いです☆ 餅 】

年が明けたら蒸篭使いになりたいなと思っています。

蒸し野菜、肉まん、シュウマイ・・・

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昨日はクリスマスということで鶏をしめていただきました。

丸焼きの燻製chick

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「なんだか面白い生活だね」ってなおちゃんが言いました。

ふと落ち着いて考えてみるとユニークだなって思いました。

1年前の僕たちは、今このような状況になるとは思ってもみなかったことを思うと、なんだか人生の不思議を感じます。

来年1年はどんな感じになるのかな?

考えたところで思ったようには行かないのが人生なのかもしれませんが、あれこれ考えるのは楽しくもあります。

とりあえず、つつましく、自然に寄り添いながらこれからも生活していきたいなとは思っています。

皆さま、メリークリスマス&良い正月を!!

これから実家の東京の方に帰省します。

飛行機飛ぶのかな・・・coldsweats01airplane

2011年12月23日 (金)

カブトムシ?

今日から学校は冬休みsnow

1月の11日までお休みということだから、すこしのんびりとした正月を迎えられそうです。

最後の学校の授業、白菜と大根の収穫を終えて、積んであった堆肥を畑に戻す際に、たくさんの幼虫がそこに住んでました。

「カブトムシ?」

気持ち悪がる生徒、幼虫を投げて遊びだす生徒・・・

なんだかそういうのが少し寂しい気がしたので、生徒に言って、幼虫を別に集めて家にもって帰ってきました。

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ちょっと集めただけで100匹はいたと思います。

家に積んであった栗の落ち葉の上に堆肥と一緒に安置。その上にまた栗の落ち葉をかぶせました。

自然に大きくなってくれることを願っています。

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家でも金魚の水槽に入れて、5匹ほど飼うことにしました。

東京で生まれ育った僕だからかもしれないですが、カブトムシには多大な憧れが今もあります。

田舎で育ったなおちゃんにはそれはちょっと分からないみたいで、不思議そうに僕の行動を眺めていました。

水槽の壁際にてさなぎになってほしい。

そんな風に思っています。

以前、大学生の頃、同様に幼虫を水槽に入れて飼っていたら、ある日帰宅したら、大きなカナブンが家の中を元気良く飛んでいました。

今回はホントにカブトムシかな?

2011年12月21日 (水)

志の輪

誰だったかな

ある活動家が言っていた。

「僕が社会全部を変えることは出来ないけれど、志を共有できる人の輪が広がっていけば良いと思う。」

どこかで価値観などが共有出来る人というのは、一緒にいて楽しいし、落ち着く。

原発事故のせいもあるのかな、人々の意識というのは段々と変わってきているのではないかと感じている。

今の社会を生きるうえでお金というものは必要なものかとは思う。

だが、お金以外にも大切なことを見出していこうという人たち、なるべく顔と顔が見えるような生活をと生きる人たちとの出会いがある。

先週末はそんな人たちと時間を一緒に出来た日々だったような気がする。

結婚を機に、おばあちゃんが住んでいた家に移ってきた夫婦がいる。

鳥取県西部の日南町という山間の町だ。

狭い鳥取県だから、その夫婦が越してきたときからその夫婦のことは耳にしていた。

たいそう評判が良いから気になっていた。

僕らと同年代。

なおちゃんの実家の江府町に寄った際に突撃に近い形で訪れる。

雪がしんしんと降る様は同じ鳥取県かと目を疑うほどにすでに雪深い。

築200年ほどもあろうかという立派な古民家に、周りは田畑や山がある。

そこで、自然の恵みをいただきながら生活しようとしている夫婦だった。

4月から、旦那は役場務め、奥さんの方はカフェをスタートさせるということらしいが、これからどのような形になっていくかは楽しみなのである。

突撃の訪問だったが、お茶をいただいてお話しを聞くことが出来た。

また、ゆっくりと訪れたいし、智頭にも遊びに来てもらいたい。

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【しろつめ農園さん】

午後はそのまま、江府町で自然農をしながら自給生活をしているトクオカさんの家に遊びに行った。

彼女はその生活のほとんどを自給しているすごい人だ。

遊びに行ったら、火鉢でそばのパンを振舞ってくれた。

飲み物は採れたハブ茶。

薪ストーブで暖をとりながら、ゆっくりと丁寧な時間が流れていく。

僕が別にせわしないファーストな生活を送っているという認識はないが、それでもここにくると、僕の生活は消費の多いファーストライフだと思わされる。

自分の思想を自分の実生活で表現するトクオカさんはすごく芯が通っていて凛としている。

僕自身は今今、トクオカさんみたいにはなれないけれど、それでも家庭の自給率を少しずつでも向上させていきたいという気持ちはある。

訪れるたびに気付きのある、僕にとって大事な人と場所だと思う。

夕方、鳥取に帰ってきて、今度のクリスマスにダイヤモンド電器の新人社員と一緒に捌く鶏をいただいてきた。

レイクファームという湖山池のほとりにある、大型養鶏施設だ。

廃鶏と呼ばれる鶏を1羽30円、2羽いただいてきた。

大量生産のブロイラー。

施設に着くと、ツンと消毒の臭いが鼻を突く。

渡された2羽は肥料袋に入れられ、まるでゴミか何かを渡されたような感覚。

「60円です」

と言われ、60円を渡す。

その日の気持ちの良い感覚から一転、寂しい気持ちになった。

家に帰ってその鶏を肥料袋から出すと1匹はすでに息絶えていた。

慌てて捌く。

生きていた1匹は肥料袋から外に出すも、まるで生きているのか死んでいるのか分からないくらい、どこか宙を1点見つめる感じ。

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とりあえず、フィリピンにいたときに飼っていたように外で遊ばせようと思ったが、まるで元気が無い。

寒いのかなぁと思い、今では家の玄関でダンボールに入れて飼っている。

段々と元気になってきた。

2011年12月12日 (月)

イロイロ

【11月30日~12月5日】

2年半ぶりにフィリピンのイロイロを訪れた。

2年半前まで2年間僕が住んでいた町だ。

ずっと訪れたいと思っていた。

新婚旅行はフィリピンのイロイロか、菜生ちゃんの任地だったウガンダのチビビが良いなぁと思ったりもしていた。

機会を逃し、1人で4日程行くことにした。

お世話になった家族のような人たち、友人、職場の人たち、プロジェクトした島・・・

会いたい人、したいこと、食べたいもの・・・それらが多すぎて4日ではどうにもこうにも収まらない。

あのときの、この町での2年間を4日で追憶するのはいささか無理があった。

今回どうしても外せなかったのが、

・適正技術の普及を行うNGO、AIDFIのAukeさんに会うこと

・プロジェクトした島を訪れること。(移動含め丸2日かかるのだが・・・)

・お世話になった人たち、友人に会うこと

であった。

観光ゼロの旅程はまるで2年半前のあの時間に戻ったかのように、イロイロについた瞬間からあのときの生活をまた追体験しているような錯覚にも落ちた。

それも2年間住んでいた部屋を空けて大家さんが待っていてくれたからかもしれない。

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着いた日から食事はジョリーさん家族と共に過ごした。

変わらない、2年半の空白が嘘のように、あのときの続きを過ごしているような感覚。

不思議なもんだhappy01

初日は隣のバコロドという島で活動するAIDFIのAukeさんに会いに行った。

実はこのNGOは僕が密かに就職して働こうと思っていたNGOだ。

適正技術。

現地にあるものを使って、現地にある人たちが維持運営しながら、その現地の生活向上に役立つ技術。

ハイテクではなく、ローテク。

おじいちゃん・おばあちゃんの知恵袋のような、昔の人たちの知恵のような技術。

とても持続的だと思う。

そこで働くことは当時叶わなかったけれど、今でもその思想というか、スタンスというのは大きく影響を受けていて、帰ってからもずっと会いたいと思っていた人と場所だったわけである。

今回は小水力発電と製油機のアイディアについての意見交換が目的だった。

なんかここ智頭で応用できることないかなぁと思い行ったのである。

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小水力発電装置

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製油機

ここではレモングラスからオイルとハーブウォーターを抽出。

Aukeさんはオランダ人だが、フィリピン人の奥さんと結婚。

NGOを立ち上げて、自主運営している。

行政からの補助がなくなって撤退していったNGOがここネグロス島では多いのだが、このNGOは自主運営していて撤退していない、数少ないNGOの1つだと思う。

フィリピン人スタッフも20人以上雇っている。

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2日目・3日目

バイオガスプロジェクトをした島を訪れる。

島の学校で循環モデルを作ろうと、校長先生と2人3脚で進めていったプロジェクト。

学校でブタを飼いながら、その豚糞でメタンガスと液肥を生産。

その液肥は学校の畑の液肥として使用。

メタンガスは学校の給食に使用。

それによって、生産性の落ちていた学校の畑を蘇らせて、そこで採れた野菜たちは経済的困窮家族の生徒の給食にあて、メタンガスは薪の消費を抑え、ブタは畜産の授業で扱う・・・・

などなどが目的だった。

寄付は日本で30万募り、技術は先述のAIDFIと共同で行い、施工、運営は島の人たちで行うという具合にした。

自分としては結構、帰国してからも気になっていたことで、今回訪れるに当たってすごくドキドキしていた。

よく援助の世界で聞く、行ったは良いものの、提供者が居なくなった途端に機能しなくなっていくプロジェクト・・・

きっとそんな風になっているのだろうな、と覚悟を決めて訪れてみた。

嬉しい誤算はそれがちゃんと役に立って、機能していたということだった。

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4年前の畑

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井戸も枯れずにちゃんと機能したし。

一生懸命掘った甲斐がありました。

今ではこの井戸から各教室に水が行き渡るようになっていました。

支えていた胸のわだかまりがスッと楽になったような気がしました。

ほんとに良かった。

安心した。

フィリピンまで来て良かったなって思った。

ちなみにこの島はとてものどかで良い島で大好きなのだが、最近ロンリープラネットにも登場するようになって、地元の人たちも観光開発などに着手し始めている。

いつまでものどかでキレイな島であることを願う。

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4日目

僕のイロイロのお母さんジュリエットさんに会う。

ホントにお世話になったお母さんだ。

大好きな人。

大好きと思えるのはジュリエットさんも僕に愛を注いでくれたから。

僕はジュリエットさんに愛することを教わった。

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友達・知人呼び合ってフィエスタ(町の祭)に参加。

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日々の生活に埋没し過ぎることなく、どこかで余裕を持ってこれからも生きていきたいと思えましたsun

雪山登山

ずっと気になっていた山がある。

気高の家と出会ってからずっと気になっていたその山。

中国地方最高峰の「大山」と背比べしたことがあるという昔話が残る。

鷲が翼を広げたような形から名付けられたその山。

「鷲峰山(じゅうぼうさん・やま)」

登りたいなぁって思ってから2年が経過していた。

気高の家の近所に住むユニークな友達3人と一緒に4人で登ってみた。

12月11日。

その3日前には降雪していた。

ただ、まぁ3日経っているし、里の方はすっかり雪解けもしているしで、山に雪が残っていたとしても知れているだろうと高をくくっていた。

が・・・・

登山口から既に雪が・・・snow

別にみんな登山家でも冒険家でもないが、結果的に雪山登山となったcoldsweats01

メンバーのクドークンなんてナイキのエアーマックスだった!笑

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よくみんな最後まで登りきったと思う。

上に行けば行くほど雪は深くなりヒザ下くらいまではあった。

笑えた。

「なんでこんな状況で山登りしてるんだろう・・・」

何度もよぎるこのフレーズも、なんだか他の3人のユニークさが、妙にこの状況にマッチしていて、このフレーズを溶かしていった。

「ま、なんだか面白いからいいか。」

ヘンテコな珍道中。

やっと頂上にたどり着くも、だれもガスコンロなんて持ってるわけも無く、ローソンのおにぎりをみんなで頬張るriceball

奇跡的に同じ時に違う登山道から山夫婦が登頂してきた。

装備は万全!

そこで頂いたホットコーヒーの味と温かさは忘れないようにしよう。

ホッとコーヒーjapanesetea

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頂上の写真も指が入ってるよクドークンhappy02

ホントに良く登って、良く降りてこれた。

河内登山道から登り、鷲峰登山道から降りる。

ナイス登山だったfuji

言いだしっぺヤマダクンどうもありがとう☆