【学校の話】
あまり学校の話は書かないほうがいいのかもしれないが・・・
同じ郡内の高校にサッカーの合同練習に行ってきた。
夏休みに入る前から計画していた今日という日。
何かと理由をつけて休む子が大半だった。
8人中3人の参加。
その高校は県内でもトップクラスの高校だ。
名前に萎縮してしまうこともあるだろう。
自分の環境から変わったところに行きたくないというのがこの子らの人情かもしれない。
多少(たくさん?)背中を押しながら来た3人。
心技体
どれをとってもまだまだ及ばない
それでも炎天下の中、他校の選手に教わりながら練習についていく。
普段は4,5人で練習するのが精一杯。
大勢でボールを追いかけるは初めての体験だったかも。
普段はすぐに音を上げるのに、今日は必死にくらいついていく。
外に出てみて、学ぶことはたくさんある。
サッカーだけじゃない。
挨拶
礼儀
姿勢
終わった後に3人に聞いてみた
「今日どうだった?」
「先生、正直に言ってもいいですか?・・・」
(内心、ドキリとする。)
「めちゃめちゃ楽しかったです!」
来て良かった。
参加させてもらってよかった。
僕らにとってはなんでもないことでも、生徒にとっては大きな一歩。
不安や恐怖心、自分の弱い心を超えて参加した今日の練習の意味は大きい。
そんな「ちょいと上の挑戦」に挑み乗り越えていく瞬間に立ち会えた時の喜びは大きい。
着替えるときの生徒の腕がこんがりポッキー焼けしていた。
「それがお前のこの夏の勲章だ」
頑張って欲しい
こうと決めたことを最後までやりきって欲しい。
そのための支えになれるのなら寄り添っていてあげたい。
僕は微力です。
でも今日は良い一日でした。
一石二鳥
つながる
触媒
そんな言葉が好きだ。
泰ちゃんの抱っこで画期的なひらめきが今日生まれた。
まだ試されていないお父さん方は試してみてください。
何をしている写真かというと、抱っこしながら腹筋
泰ちゃんも喜び、僕の腹筋も喜ぶ
まさに一石二鳥
そんなひらめきをなおちゃんに紹介したら
「わたしもしてるよ!」
とのこと
さすが!!
何をしているところかと言えば、寝ながら抱っこしながら「いない いない ばあ」
らしい。
ん?
これ、泰ちゃんは「いない いない ばあ」してもらって嬉しいだろうけれど、なおちゃんのメリットはなんだろう?
ふと、心の中でそのような疑問が浮かんだ。
僕のこの一石二鳥のひらめき、2つ別個のものを繋げてwin-winの関係という、そういったものがうまくなおちゃんには伝わっていなかったらしい。
僕の腹筋は夏に向けて、順調な調整を続けています
子どもが出来たらしたいことがあった。
第一弾はへその緒を入れる箱作り
第二弾は胎毛筆
赤ちゃんの産毛を使って筆を作るというやつだ。
胎毛の先端は、だんだん細く、自然に尖った毛先になっていて、このように柔らかい、自然な毛先の頭髪(新毛)は生まれてきた時のままの毛先を持つ子どもの髪でしか見ることが出来ないそうだ。
胎毛筆とは古来より頭脳明晰・健やかな成長を祈願して中国では古くよりこの伝統文化があり、中国史において千年も昔よりこの習慣は行われていたようだ。
筆を作るには5~6センチの長さが必要みたいで、泰ちゃんも伸びた毛を昨日散髪してもらってきた。
初床屋もなんとか乗り切り、無事に髪の毛を床屋さんに託してきました。
筆が出来上がるのは2~3ヵ月後とのこと。
出来上がりが楽しみです。
泰ちゃんの結婚の時に、へその緒と一緒に渡したいなって考えています。
最近、食べ物への興味関心が大きくなってきました。
離乳食が始まるとまた面白いんだろうな
泰ちゃん生後145日です。
新田はすごい!
昨晩、ついに人形浄瑠璃の発表会が鳥取市内の公民館で行われた。
僕のデビュー戦。
明治8年が初舞台だったと聞かされ、計算してみると138年目になることが分かった。
【当初のいきさつ】
明治維新、それまでの身分制度が廃止され、日本各地で博打など賭け事に高じる人が増えたようだ。
新田も例に漏れず賭け事が頻繁に行われるようになったらしい。
畑や田んぼや山を賭けては、集落の人々の人間関係はギスギスしたものになっていったようだ。
それに危機感を覚えた当時の青年部の青年達が集落の人間関係の修繕の1手として始めたのが現在の人形浄瑠璃の始まりだったらしい。
1体の人形を2~3人で操る人形浄瑠璃は個人の勝手が許されない。
チームの息を合わせるのに集まって練習を重ねないといけない。
本場徳島の方まで教えを乞いに行ったり、人間国宝の人に手ほどきをしてもらったりと、様々な努力の先に今の新田の人形がある。
そんな人形浄瑠璃も鳥取県で演じるのはここ新田だけになってしまったらしい。
(船岡にも1つ団体があるみたいだが、高齢化など様々な要因で今は活動ができていないようだ。)
集落には僕たちよそもんも含めて20世帯余り、人口にして70人程、65歳以上の高齢者は65%、そんなところだが仲良く精力的に様々なことに取り組んでいる。
今でも幼かった頃の呼び名、〇〇ちゃん、〇〇くんと当時のあだ名でお互いを呼び合う、仲の良さの秘訣の一端を垣間見たような気がした。
押し寄せてくる年齢との闘い。
前は出来ていたことが段々と出来なくなっていく状況。
僕は新田のそんな時期に立ち会っているのかもしれない。
残していきたい、色々なものがここにはあるような気がしている。
それはここ新田だけでなく、日本中の、もっと言ったら世界中の「田舎」に共通して言えることなんじゃないかなと思う。
幕内から劇を見守る2人は80を超えているようにはとても見えない。
僕も同じ格好して頑張りました
人形を続けていくことは確かに負担だが、亡くしてしまうにはあまりに惜しい文化に感じました。